昔の教科書で読んだネコの話を思い出し、著者を探す
インターネットで探せるというのは、本当に幸せなことですよね。
たまーに思い出しては、誰の話だったのかも分からないままになっていた短編小説。
ネコの話と書いてはいますが、可愛い話じゃないんですよ。だから記憶に残っていて。
その話は、ネコが車に轢かれてしまう話だった。
私が授業中に国語の教科書をパラパラとめくっていて、何故か気になって読んでしまって。
読んで衝撃を受けていたから、今でも覚えているのだと思う。
授業でもしたのかもしれないけれど、集中して読んでいないと私は覚えられない。
だから、授業を聞かずに読んだのだろう。
今読むと、昔と同じ事を感じるかは分からない。
だが、この話は読み返したい話というわけでもなく。
そうとう昔に一度読んだだけで、今でもあの話は何だったんだろう?と思う話なわけで。
誰の小説だったのか調べてみると、梅崎春生という小説家で、題名は「猫の話」というらしい。
この「猫の話」は、「輪唱」という3部作の中の一つだということなのだが、Wikiにも出ていない。
北村薫(編集)の『謎のギャラリー―愛の部屋 (新潮文庫)』に収録されているらしいことが判明した。
猫の名前も「カロ」ということが分かって、つくづくとインターネットは凄いなと思っています。
何故この話を思い出したのかと言うと、「わがままな本棚」という以前のテレビ番組を観ていた。
そこで、本棚を作るのにピース又吉が太宰治の「人間失格」を選んで、
次にゲストの町田康が内田百けんの「タンタルス」を置いたあたりで、何故か猫の話が頭に浮かんできた。
一旦、映像を止めて調べてから続きを見ると、「梅崎春生作品集2」を続きで並べていて。
名前だけを見ても梅崎春生の名前を覚えられていないけれど、さっき見たような気がするなと。
考えてみると、さっき探していた「猫の話」を書いた人だったという話。
なんとなくの感覚として、私の中でもつながりがあったのかもしれない。
(その本棚に並べるのは、前の本とつながりを説明しながら次の本を並べていた)
私が「猫の話」を忘れられないのは、人間の暗い部分や狂気に触れているような気がするからだと思っている。
カロが車に轢かれて、その物体(主人公はこう呼ぶような見方をしていた)が、車が通るたびになくなっていくのを眺めている様子を書いた小説だった。
そうとう前に読んだだけだから、私の記憶が間違っているかもしれないけど、ずっと物体を見るような、何を思っているのかも理解できない話だったと思う。
自然に返るとかそういう綺麗なものでもなく、道路の上だったような。
もし猫が事故にあって亡骸となっている場合は、見ていないふりをすることも出来るわけで。
車を運転していて、そういう場面にあったとき、私も引き返しはしなかった。
でも、この小説の主人公は、毎日見ているというのが、当時の私には気持ち悪くて。
何を考えながら観察していたのか、今でもたまに思い出す短編小説。
こういった文学作品の意味を読み取れるようになりたいなと思いながらも、難しくて本を読むのが少なくなっていたりも。
ライトノベルくらいの小説が、楽に読めるというのもあるかな。
それでも、ここまでの歳月が経っても記憶に残っている、教科書に載っていた短編小説も、凄い小説ですよね。